Author: tukurute
2017 作品
つくりながら考えるという事
『なぜ土でつくるのか?』
と言う答えなど見つかりそうにないと、土を手放しかけたとたん答えが見え出す。という経験は、自分の中から必然性を生むのではなく、すでにあるもの、置かれた状況から問いを導き、自分事にして考えること。
『手放しかける』ということは、『俯瞰してみる』ことと近い。
又は、相手(私の場合粘土)に任せる事か?
粘土は結構いうことを聞いてくれる。(らしい)
技術で自分の思いどおりの型に仕上げられる。
又は、粘土は私のいう事(やろうとしている事)を全く無視する。
陶芸作品を作る時、粘土の状態から乾燥、焼成まで、自然界の時間の流れと共にする事が必要だけれども、そこで、粘土の作品は切れようとするし、歪もうとする。
これについて考えていきたいと思う。
つまり、
「自分のやろうと思っている事に対し、何かいつも目に見えない大きな力が働き、なかなか思い通りにいかない」
という事を。
でも、だからと言って、
目の前のブツが、そんなに悪くもないし、逆に輝いて見えるのは、私がきっと、能天気(空に雲一つないように何も考えられてない)からだろう。
あぁ…。
と言う答えなど見つかりそうにないと、土を手放しかけたとたん答えが見え出す。という経験は、自分の中から必然性を生むのではなく、すでにあるもの、置かれた状況から問いを導き、自分事にして考えること。
『手放しかける』ということは、『俯瞰してみる』ことと近い。
又は、相手(私の場合粘土)に任せる事か?
粘土は結構いうことを聞いてくれる。(らしい)
技術で自分の思いどおりの型に仕上げられる。
又は、粘土は私のいう事(やろうとしている事)を全く無視する。
陶芸作品を作る時、粘土の状態から乾燥、焼成まで、自然界の時間の流れと共にする事が必要だけれども、そこで、粘土の作品は切れようとするし、歪もうとする。
これについて考えていきたいと思う。
つまり、
「自分のやろうと思っている事に対し、何かいつも目に見えない大きな力が働き、なかなか思い通りにいかない」
という事を。
でも、だからと言って、
目の前のブツが、そんなに悪くもないし、逆に輝いて見えるのは、私がきっと、能天気(空に雲一つないように何も考えられてない)からだろう。
あぁ…。
超じょうづるがいるところ。
「超じょうづる」というオブジェを制作しています、根本聡子です。
制作場所は市の作陶施設で,公開制作です。施設利用者さんと同じテーブル、同じ粘土を使い制作。施設利用者さんは私が制作していることで、技術面や、「超じょうづる」の事について、興味があれば率直にきいてくれます。面白い環境です。今日はとなり村から特別養護老人ホームの皆さんが作陶していました。
現在制作中の「超じょうづる」は乾燥が厳禁で、ビニールをかぶせています。
ビニールを外すとこんな感じです。今は前に制作した「超じょうづる」を二つに割って、中身も外見も「つぶじょうづるの群れ」でいっぱい。って感じです。ちょっと怖いですか?怖いですね、群れで埋め尽くされちゃって。