つくりながら考えるという事

『なぜ土でつくるのか?』

と言う答えなど見つかりそうにないと、土を手放しかけたとたん答えが見え出す。という経験は、自分の中から必然性を生むのではなく、すでにあるもの、置かれた状況から問いを導き、自分事にして考えること。

『手放しかける』ということは、『俯瞰してみる』ことと近い。

又は、相手(私の場合粘土)に任せる事か?

粘土は結構いうことを聞いてくれる。(らしい)
技術で自分の思いどおりの型に仕上げられる。

又は、粘土は私のいう事(やろうとしている事)を全く無視する。

陶芸作品を作る時、粘土の状態から乾燥、焼成まで、自然界の時間の流れと共にする事が必要だけれども、そこで、粘土の作品は切れようとするし、歪もうとする。

これについて考えていきたいと思う。

つまり、

「自分のやろうと思っている事に対し、何かいつも目に見えない大きな力が働き、なかなか思い通りにいかない」

という事を。

でも、だからと言って、

目の前のブツが、そんなに悪くもないし、逆に輝いて見えるのは、私がきっと、能天気(空に雲一つないように何も考えられてない)からだろう。
あぁ…。