つづき

この前のつづきです。 「なんで、宗教戦争がなくならんか」 って言うことです・・・ 文章をそのまま書き写しますと、 「社会さえ超える体系を持つ領域であるがゆえに、宗教によってなりたった自我が一番強い。でも強いだけに あぶない。これもみなさんご存知の通りです。確かに古今東西あらゆる宗教は、人間の幸せを追求してきました。 しかし、「宗教が人間を幸せにする」というのは、宗教の一面でしかありません。特定の人々が「宗教」の名のもとに「幸せ」を追求することで、それ以外の人々との間に葛藤を生み出すという側面も宗教にはある、ということも認識しておくべきでしょう。社会問題を引き起こしたり、金儲けが目に余るようなら「ニセモノの宗教」と判断するよりも、どんな宗教にも光と影、薬と毒の両面性があると考えねばなりません。ですから、日本のように「宗教を笑いものにできる」というのは、ある意味で宗教性が成熟している証です。「宗教こそが、最後までゆずることのできない最後の一線」という状態では、宗教を笑うわけにはいきません。それどころか、宗教がもつ暴力装置が動き出すのです。人類にとって、宗教による暴力システムは最強である、ということは歴史が語るとおりです。 あー長かった・・。 この文章もずいぶん噛み砕いてかいてますが、 もっと私風にかみくだくと、 「古今東西、おたがいに触れてはいけないスイッチが 分かりやすーいところに露出していて、ときどきおたがいそれを押しあっている」って感じか? 結局この「宗教戦争はなぜなくならん?」の感想は 「人間なんてらららーらららららー」

6 thoughts on “つづき”

  1. kuro/n-stitch

    おひさー!みんな元気?
    夏はこっちに帰ってくるのかな?
    会えるといいねー。
    で、私も同じコト考えてた。
    宗教ってなんで時にそんなに過激に争うんだろう?って
    神様って本当はそんなことを望んでる?って。
    日本のように「宗教を笑いものにできる」というのは、
    ある意味で宗教性が成熟している証です。
    なんかコレ見てちょっと安心。
    無宗教のようで、多宗教、いや、とりあえず、ご先祖様が神様。
    日本の一般的な人の何でもありでつまみ食い的なことも許してしまう
    間口の広い宗教心ってオモシロイなぁと思ってたから。
    でも、結果、疑問はラララ~♪なのね。
    ラララ~♪も成熟の賜物か!(笑)

  2. satoko

    kuroさん、コメントありがとう!
    夏は帰るつもりです!ぜひ、会いましょうねぇー!
    おいしい所、連れてって!!
    なんちゅうか、ラララー♪なのよねぇ(笑)
    結局、痛いとこつかれてムカッときて
    けんかになってるとしたら・・・
    まぁ、なんちゅう人間っぽい事・・

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