Author: tukurute

「現実的だったのは私の周りのざわめきだけだった」展の前に。

「現実的だったのは私の周りのざわめきだけだった」展を近々開催することについて。

作品は完成しない。
ただ、日常が(生活)が続くように続く。

私、今回の作品について、キレたり歪んだりしたのも含めて作品として観れるものを作りたいと考えてつくりだしたんです。そして、実際に窯を開けてみて、キレたり歪んだりしたんです。最初から「ここきれろ!」「ここ歪むように!」と、つくるのではなくて・・。結局そうなりました。
村の陶芸教室で制作していると、制作中の作品にぶつかってしまう人がいて、その作品は修復不可能でした。それは大変ショックな事柄ではありましたが、今では「そんなこともあるな」くらいです。けど、本当は悩んでいます。「これは今からでも粒をつけてもう一度本焼きすれば、もうちょっとマシに、もうちょっと完成に近づくな。けど・・・。」
私は何を悩んでいるんだろう。
今ココです。
修復を試みることに躊躇したまま。

旅家メンバーが陶芸教室で餃子の皿作り

旅家メンバーの親子が私の勤務先の陶芸教室に来て、夏に使う餃子皿を作りました。
普段、粘土を触ることのない親子が、粘土で皿的なものを作る三時間。粘土パワーで皆手を休めることなく、つくるつくる。
「○○にしかできない事はなにか?」と、いうメディウムスペシフィック的な古い考えを思い出した。