Author: tukurute

旅家メンバーが陶芸教室で餃子の皿作り

旅家メンバーの親子が私の勤務先の陶芸教室に来て、夏に使う餃子皿を作りました。
普段、粘土を触ることのない親子が、粘土で皿的なものを作る三時間。粘土パワーで皆手を休めることなく、つくるつくる。
「○○にしかできない事はなにか?」と、いうメディウムスペシフィック的な古い考えを思い出した。

つくりながら考えるという事

『なぜ土でつくるのか?』

と言う答えなど見つかりそうにないと、土を手放しかけたとたん答えが見え出す。という経験は、自分の中から必然性を生むのではなく、すでにあるもの、置かれた状況から問いを導き、自分事にして考えること。

『手放しかける』ということは、『俯瞰してみる』ことと近い。

又は、相手(私の場合粘土)に任せる事か?

粘土は結構いうことを聞いてくれる。(らしい)
技術で自分の思いどおりの型に仕上げられる。

又は、粘土は私のいう事(やろうとしている事)を全く無視する。

陶芸作品を作る時、粘土の状態から乾燥、焼成まで、自然界の時間の流れと共にする事が必要だけれども、そこで、粘土の作品は切れようとするし、歪もうとする。

これについて考えていきたいと思う。

つまり、

「自分のやろうと思っている事に対し、何かいつも目に見えない大きな力が働き、なかなか思い通りにいかない」

という事を。

でも、だからと言って、

目の前のブツが、そんなに悪くもないし、逆に輝いて見えるのは、私がきっと、能天気(空に雲一つないように何も考えられてない)からだろう。
あぁ…。

超じょうづるがいるところ。

「超じょうづる」というオブジェを制作しています、根本聡子です。
制作場所は市の作陶施設で,公開制作です。施設利用者さんと同じテーブル、同じ粘土を使い制作。施設利用者さんは私が制作していることで、技術面や、「超じょうづる」の事について、興味があれば率直にきいてくれます。面白い環境です。今日はとなり村から特別養護老人ホームの皆さんが作陶していました。
現在制作中の「超じょうづる」は乾燥が厳禁で、ビニールをかぶせています。



ビニールを外すとこんな感じです。今は前に制作した「超じょうづる」を二つに割って、中身も外見も「つぶじょうづるの群れ」でいっぱい。って感じです。ちょっと怖いですか?怖いですね、群れで埋め尽くされちゃって。